0系花魁車

0系花魁車(おいらん車)をクラシカルに再現

「花魁車地景公園」

台湾高速鉄道会社は台湾の鉄道文化と資産を保存するパイオニアとして、建設期の2003年から重要な歴史的物品の収集、研究と保存、メンテナンスを開始しました。続く2017年には桃園高鉄運営センターに正式に台湾初の高速鉄道博物館-「台湾高鉄探索館」を設立し、台湾高速鉄道のテクノロジーと文化、歴史教育の推進と発展に全力を尽くしています。世界初の高速鉄道「0系花魁車(おいらん車)」を正式に受け継ぎ収蔵したことで、「台湾高鉄探索館」は世界の鉄道文化遺産の保存、メンテナンス、伝承の更なる重要な使命を担うようになったのです。

花魁車地景公園の展示エリアのスペースは、0から出発して無限大へと発展する要素により、0系車両と台湾高速鉄道の物語を描写しています。建築は垂木の梁による3本の軸線が交差した放射状の構造で「扇形庫」のイメージを形作っています。花魁車地景公園も台湾高鉄会社初の実車を展示する公共空間となっています。

花魁車地景公園実景 (VRガイド)

世界初の高速鉄道電車 - 「0系」は台湾にあり

「0系」は世界初の高速鉄道電車であり、日本の新幹線の始祖でもあります。人類の交通と生活に貢献し、革命的な変化をもたらした機械による卓越した業績を広く伝えるため、2007年8月に日本で機械遺産に登録されています。新幹線0系電車は運行開始から44年後、2008年正式に高速鉄道の世界から引退しました。

この世界初の高速鉄道「0系」(車両番号21-5035/旧:21-1032)は台湾高速鉄道の建設期に、JR西日本から当時台湾高速鉄道の中核機電システム契約を締結した日本の「台湾新幹線国際工程会社」(TSIEC)へと贈与され、2004年に海を渡り台湾にやってきました。台湾高速鉄道の建設過程において「建築限界測定車」を担当し、「花魁車(おいらん車)」とも呼ばれています。任務を果たして引退後の「0系」花魁車(おいらん車)はTSIECの請負業者より台湾高速鉄道会社に譲渡され、2012年に台湾高鉄探索館のコレクションとして正式に台湾高速鉄道の鉄道文化資産となりました。また世界で2台しかない、日本国外にある0系となっています。

0系花魁車(おいらん車)は調査研究と修復を経て、最終的な設置場所として台南高鉄駅が選ばれました。「台湾高鉄探索館-花魁車地景公園」に設置され、「0系」の高速鉄道における首位を占める革新的なテクノロジーと達成感が表現されています。また新幹線「0系」が台湾で「現地化」した二次的な姿と派生した機能を明らかにすることで、異国での再生というだけでなく、台湾高速鉄道と交じり合うことで台湾高速鉄道の文化と歴史の一環を担うことになりました。

花魁車(おいらん車)の経歴

台湾高速鉄道 花魁車(おいらん車)の経歴

1978年6月: 21-1032がNH21編成に追加。大阪第二車両所に配属される。
1986年11月: 博多総合車両所に転属となる。
1987年4月: 日本の国鉄の民営化により、JR西日本へと所属される。
1996年3月: H21に編成へ組み換える。
1998年1月: H21 編成が解除され、保留車となる。
1998年2月: リニューアル改造で21-5035となり、R1編成に追加される。
2002年1月: R1編成が解除される。
2002年2月: 新たにR6 編成へ組み換える。
2004年3月: R6編成が解除され、廃車となり、「台湾新幹線 花魁車(おいらん車)」に改造される。
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展示エリア01 | A

鉄道テクノロジーと進化の光の回廊:世紀を巡る―百年の軌跡

鉄道の発明は人類の進歩の歴史の一部分です。より便利な生活のため、動力は人力、動物から蒸気機関車へと変化し、鉄道(機関車)が活躍するようになりました。発明家が創り出した金属の巨大怪物たちこそ、私たちを進歩した社会に導く要素の1つなのです。台湾高速鉄道探索館では特別に、入館口にテクノロジーに満ちたインタラクティブな青写真の壁面展を設置しています。蒸気機関車、電気機関車、ディーゼル機関車と軌道などの要素によるアクティブなマルチメディアが製作され、入口スペースに投影されています。映像に触れることで、世界の機関車の進化論を垣間見ることができます。

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展示エリア02 | A

台湾鉄道のBOT(Build-Operate-Transfer)歴史から始める

各国における鉄道の始まりは、その多くが炭鉱の運送に起因しており、台湾も例外ではありません。清王朝時代、台湾巡撫の丁日昌は軍事的必要性から炭鉱での採掘を開始し、基隆の八斗子に2キロメートルにわたる鉄道を建設しました。これが台湾で最も早くに敷設された鉄道になります。劉銘伝が台湾の初代巡撫を引き継いだ後、はじめて正式に人が乗車できる鉄道が建設されました。日本統治時代には新たな鉄道の敷設とルートの拡張が行われました。日本軍の活動と民生用品を流通させやすいよう、基隆から高雄までを貫く鉄道が完成しました。戦後になると鉄道のディーゼル化、電化を経て、1992年に環状鉄道網が完成しました。台湾高速鉄道も2007年、正式に台湾の鉄道のメンバーに加わりました。

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展示エリア03 | A

台湾高速鉄道の誕生 (1996~2000)

台湾高速鉄道の誕生は、台湾の鉄道における大革命でした。斬新な技術で台湾の南北の往復の交通にかかる時間を短縮し、人と人の距離も縮めました。1998年5月台湾高速鉄道公司が正式に設立されました。高速鉄道の建設には強力な政府のサポートのほか、大陸工程、太平洋電線ケーブルグループ、長栄グループ、東元グループ及び富邦グループなど、オリジナルの5大株主を含む投資により「台湾高速鉄道連盟」が組織されました。台湾高速鉄道の建設工事は2000年に開始され、台湾は世界の新たなトレンドへと突き進むことになりました。また台湾における第三次鉄道空間大革命を推進する原動力になりました。

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展示エリア04 | A

最上級の高速鉄道 (2000~2006)

台湾高速鉄道の建設期間中、例えばトンネルを掘削するための「新オーストリアトンネル工法(New Austrian Tunneling Method, NATM)」と初の橋梁工事で導入された「FPLM工法(Full Span Pre-Cast Launching Method)」など、当時の台湾では応用されたことのない様々な工法と技術が導入されました。傑出したグローバルなメーカーと人材の統合により、台湾の地元建設会社に海外の卓越した技術と管理モデルを学習する機会が提供されました。こうした経験は台湾の建設技術のたくましい成長と躍進の糧となり、高速鉄道の安全の礎になりました。このエリアでは遊びながら学べる、写真撮影でのインタラクティブ・デバイス「安全装備確認ミラー」により、台湾高速鉄道の工事の安全への重視を理解し、同時に建設工法の品質とその中に秘められた意義に触れることができます。

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展示エリア05 | A

持続可能な台湾の生態保護

台湾高速鉄道の建設理念は、最初に人と文化、生態と自然への配慮を考慮すべきとされています。建設過程では最先端で環境への影響の最も低い建設計画と技術が採用されました。高速鉄道沿線では様々な生態と文化や信仰が、最も深く密接な保護と保存を受けられるようになっています。例えば台南県官田のレンカク、林口のヒトツバタゴ、新竹にある樹齢300年の樟脳の木などの保護育成作業の成果により、台湾高速鉄道のテクノジーと台湾の人文と生態の共存共栄の素晴らしい姿が存分に表現されています。

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展示エリア06 | A

鉄道工事を探索

台湾高速鉄道の請負業者は軌道の施工期間中、専用の軌道用自転車を作り出して「高速鉄道を守る」という重大な責務を担いました。高速鉄道用ケーブルと鋼材の盗難防止や、高速鉄道のエンジニアが路線を巡視するための最良の交通手段でした。軌道用自転車の最大の特徴は、車輪の幅がレールと同じ幅であることです。まるで蜘蛛の足のような4つの車輪がついていることから、「スパイダーカー(spider car)」とも呼ばれています。このエリアでは実際の台湾高速鉄道のレールがシュミレーションされています。背景は日の出と日没の景色で彩られ、軌道自転車の作業時の時の変化が表現され、台湾高速鉄道建設期間中の歴史的な姿を振り返ることができます。

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展示エリア07 | A

圧倒的な軌道敷設 - 軌道道床式

運行上の安全確保のため、台湾高速鉄道では沿線の地理と地質的環境の必要性に応じて「その土地に適した」異なる軌道工事技術を選択し、レールを敷設する必要がありました。軌道の種類には、基地と左営駅で使用されているバラスト軌道、ポイントに合わせて設計され、各駅内に設置されているドイツ式バラストレス軌道、台北と新北市エリアの地下区間に用いられ、近隣住民に対する振動の影響を防止するためのLVT低振軌道、及び全線で使用率が80.9%に達する日本方式J-Slabなどがあります。

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展示エリア08 | A

安全標識 - 労働者の安全を守る共通言語

台湾高速鉄道では建設期間中、この重大な交通建築に参加するために世界各国からやってきたエンジニアたちを統合し、各地の工事区間に配置したことから、多言語の安全標識を見ることができます。こうした安全標識は、外国人が工事基地でのコミュニケーション、伝達や交流の媒体になっていました。このエリアで展示されているのは、様々な国籍のチームで用いられていた安全標識です。異なる民族グループ、国や文化に応じて異なる美学とスタイルで表現された安全標識からは、ユーモアさえ感じられるはずです。

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展示エリア09 | A

高速鉄道の舞台裏の英雄への敬意

26か国から集結した台湾高速鉄道の建設期間の舞台裏の英雄たちは、故郷を離れる辛さをしのびつつ、台湾高速鉄道のために貢献してくれました。工事が成功裏に終わり、帰国の際、タイ人作業員は信仰し崇拝するタイ国王と大国皇后の肖像画、レジャーやスポーツ用の藤製ボール(セパタクロー)など、彼らに寄り添い異国の地で使用していた生活やレクリエーションの品々を寄贈してくれました。世界各国の作業員の往復航空チケットと健康保険証も含まれています。特に台湾高速鉄道探索館では、彼らが残した大量のヘルメットを「インストレーションアート」として一列に展示することで、力を合わせ団結した、歴史的なパワーを表現しています。

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700Tの誕生

台湾高速鉄道の700T型車両は日本の川崎重工、日本車両及び日立製作所の共同製作です。日本の新幹線700系と500系をデザインコンセプトに、2世代の優れた要素を受け継いでいます。700T型車両のプロトタイプは700系で、先頭車両はアヒルのくちばしの形状から、尖った形状に変更されています。空気力学と台湾高速鉄道のトンネルのクリアランス基準に準拠して設計されています。同時に500系の動力システムが使用され、最高時速は350キロメートルに達します。台湾の環境とニーズに対応できるよう設計、製造された車両であり、型式は台湾の英語表記であるTaiwanの頭文字「T」を取り、700T型車両のコードネームがつけられました。

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展示エリア11 | A

日帰り生活圏

ここはジオラマブースのエリアです。台湾の南北にある重要な文化的景観、民俗的信仰とイベント、観光のランドマークなどのテーマが、生き生きとして精密なミクロタイプの造型で描写され、700T型車両の運行ルートが敷設されています。これにより台湾の南北の都市のイメージと、高速鉄道による日帰り生活圏の姿が創り出されています。同時に定時に発車する700T型車両の動く鉄道模型が、台湾の南部から北部へと重要な人文と歴史的建築物などの有名観光スポットを通過し、台湾西部の回廊の日帰り生活圏の展望が描き出されています。台湾高速鉄道が、台湾の美の探索に皆様をお連れします。

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700Tランウェイ

制服は企業イメージを代表するマークです。台湾高速鉄道からすると、制服はプロフェッショナルなイメージを形作る重要な特徴を創り出しているというだけではありません。乗客の皆様との最初の触れ合いに際し、正確に「質感、進歩、真実、熱意」のブランド精神を伝えることができるのです。

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700T型車両のコックピット

この展示エリアには1:1スケールの真に迫る700T型車両のコックピットのシミュレーターが設けられています。自らコックピット内に座り操縦することができます。目の前の複雑なメーターとボタンを操作すれば、まるで700T車両の運転手になったかのようです。700T型車両の高速運転の精密なテクノロジーを感じ、イメージできます。

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高速鉄道の災害警報システム

台湾高速鉄道の「災害警告システム」はスマート化された安全対策と管理機能システムです。高速鉄道運行制御センターを管理の中枢として、沿線には様々なセンサーが密集して設置されています。常時地震、強風、豪雨、のり面地すべり、山崩れ、落石と洪水などの状況を検知し、車両の自動制御システムによりリアルタイムで列車と運行制御センターに警告を発すことで、効果的かつ速やかに様々な対応措置を実施し、台湾高速鉄道の安全な運行を確保しています。

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スマート化された旅客サービス

台湾高速鉄道は鉄道情報テクノロジーの運用のパイオニアであり、初のリアルタイム座席情報、最適化された乗車券確認フローが採用されています。また世界的にも初の乗車券確認と乗客サービスを結び付けた台湾高鉄乗車券検索システム(略称SMIS/スミスシステム)により、国内の発明特許を取得しています。T Expressアプリでは乗車券の購入、商品検索と最新の運行情報機能を結び付けることで、乗客の皆様とのコミュニケーションを強化し、利便性を向上させています。TOMISでは列車のリアルタイムな情報を統合することで、イメージ化されたデータを提供し、交差検索を可能にすることで、列車の運行管理効率を向上させています。緊急事態の際には、リアルタイムで現場の映像情報をフィードバックすることで、方針決定の効率と質を向上させています。

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台車部品洗浄装置

台車は鉄道車両で最も重要な部品の1つです。車体の自重と負荷を直接乗せて、車両を鉄道の軌道沿いに運行するようガイドすることで、車両のスムーズなカーブの通過を保証しています。また車両運行時にもたらされる振動と衝撃を和らげる作用があります。700Tの各車両には24組の台車が設置されています。列車の運行時間が1年半に達する、またはマイル数が60万キロメートルに達すると、負荷を取り外してターニング、予備検査、洗浄、オーバーホールと磁粉探傷などの定期的な点検整備作業を実施しなければなりません。

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展示エリア17 | B

「安全」こそが家までの唯一の帰り道

安全は台湾高速鉄道の礎であり、安全でなければ台湾高速鉄道ではありません。このエリアでは安全と点検整備の内容から、台湾高速鉄道の車両、信号標識と通信、電力、軌道の点検整備と台湾各地に設けられ整備基地が担当する点検整備の内容をご紹介しています。台湾高速鉄道が堅持する「「安全」こそが家までの唯一の帰り道」の心配りを知ることができます。

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展示エリア18 | B

高速鉄道の真夜中の英雄たち

台湾高速鉄道は深夜の運営終了後、ただちに軌道メンテナンスの時間帯に入ります。様々な整備員が早朝の運行作業の準備作業開始前の短い時間内に、軌道と軌道の磨耗検査、電線の検査と交換、沿線の機械室の検査とメンテナンスなどの作業を完了させます。通年を通して深夜に台湾高速鉄道の軌道上をそこかしこと奔走しています。彼らが乗客の皆様に出会うことはありませんが、安全で、すばやく快適に乗車できる裏で、そのカギを握る真夜中の英雄たちなのです。

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700Tの点検整備を紐解く

台湾高速鉄道700Tの車両は運行距離が満120万キロメートルまたは36か月に達した後、必ず「全般検査 (General Inspection)」を実施しなければなりません。車体のすべての部品を取り外し、点検整備を行います。この展示エリアでは特別に700T車両の前頭カバー、ディスクブレーキとブレーキパッド、車両間棒連結器とかご形三相誘導電動機などの重要な部品がされています。700Tの高速運転の奥深さを窺い知ることができます。

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高速鉄道の車両整備と洗浄作業

台湾高速鉄道700Tの車両は定期的な検査(点検・整備)と洗浄計画に基づき、車体の検査作業を行うことで、乗車の安全と質を確保しています。車両の検査作業にはそれぞれ「仕業検査 (Daily Inspection)」、「月検査(交番検査) (Monthly Inspection)」、「台車検査 (Bogie Inspection)」と「全般検査 (General Inspection)」などの固定されたスケジュールに従い、異なる程度と方向性のメンテナンス作業が実施されます。列車の運行プロセスで待ち受ける空気汚染や酸性雨などの様々な外部環境からの試練にあっても、車両は定期的な洗浄計画で光輝く姿を取り戻すことができるのです。

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列車のミニ庭園

鉄道模型は交通の歴史とテクノロジー教育において最も直接的かつ効果的な媒体です。列車のミニ庭園エリアでは、鉄道の発明から百年以上にわたる、蒸気機関車、ディーゼル車両、電化車両と国産の台湾高速鉄道検査車両などの重要な模型をご紹介しています。

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花魁車地景公園

花魁車(おいらん車)は2004年8月、台湾高速鉄道の工程の進捗状況に合わせ、日本から引退した0系新幹線21-1032の小窓車が導入されました。高速鉄道の土建、軌道、機電などの施設の設置位置が不適切なことで列車に衝突する問題を測定するため、建築限界測定装置が設置されています。花魁車(おいらん車)の名前は、車体外部に取り付けられたクリアランス測定用の矢羽根がまるで日本の芸者のかんざしのように見えることに由来します。0系は世界初の高速鉄道車両であり、芸者の最高ランクの「花魁」のようであることからこのニックネームが付けられました。本車両は順調に任務を完了後、請負業者TSC(台湾新幹線株式会社)より台湾高鉄公司へと寄贈されました。考証と復旧後、2023年12月から台湾高速鉄道の台南駅外広場に記念として陳列されています。

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展示エリア23 | B

高速鉄道の伝える愛と栄誉

台湾高速鉄道は「企業の社会的責任」に基づき、積極的に様々な社会貢献と救援活動に参加しています。2010年より「高速博愛 就学援助計画」を推進し、エデン基金会、児童福祉連盟、Teach for Taiwan—台湾のために教える、快楽学習協会とダウン症基金会などの慈善団体と提携しています。乗客の皆様の暖かいご支援のもと、募金は12年間で累計1.48億台湾ドルに達し、2万7千名以上の児童を支援できました。このほか台湾高速鉄道の開通から今に至るまで、コーポレートガバナンス評価トップ5%の優れた成績や、文馨賞の芸文人材育成賞及び国家産業創新賞など国内外で様々な賞を受賞し、信頼を得ています。

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速度と文化のリンク

台湾高速鉄道は毎日時速300キロメートルで台湾西部を駆け抜けています。乗車途中の時間は、乗客の皆様により多くの時間をかけてその土地のすばらしさを発見させてくれます。「進歩へと導き、素晴らしい生活プラットフォームを創造する」の理念へのこだわりが、高速鉄道を便利で素早い交通機関であるだけでなく、文化と創意を推進するプラットフォームにしています。車上に備えられているジャーナル「TLife」では、乗客の皆様に旅での楽しい読書の時と、様々な記念グッズをお届けしています。高速鉄道の速度と文化のリンクを存分が表現され、ここだけの台湾の土地の人情を創り出しています。

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展望・未来

このエリアではイメージウォールと合成映像技術で、館内の撮影スポットをご提供しています。動く高速鉄道を結び付けることで、台湾高速鉄道に乗車すると北から南に通過する代表的なランドマークが表現されています。「日帰り生活圏」による便利ですばやい旅の交通機関がもたらす新たな生活がここから展開されることを象徴しています。

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開かれた密室 - 高速鉄道文物倉庫

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開かれた密室

台湾高速鉄道の文化財保存施設では、高速鉄道の文化財を1万件以上収蔵し、台湾高速鉄道の文化資産の礎を確固たるものにしています。また台湾の鉄道文化資産の保存に新たな方針を打ち出しました。台湾高速鉄道の企業文化には深く厚い人文の精神が刻み込まれているのです。収集された文化財は正式に公開展示されたことはなく、少量のみ貸し出しての展示交流や展示が行われています。高速鉄道の文化財保存施設はまるで「コレクションの密室」となっていました。

しかし既存の実体展示スペースには限りがあることから、台湾高速鉄道では台湾の博物館の型にはまった文化財保存施設のデザインスタイルを打ち破り、高速鉄道の文化財保存施設は「開かれた密室」方式で展示されています。収集と展示の双方向の機能を兼ね備えるほか、博物館の文化財保存施設に対する好奇心を満足させてくれます。効果的な収集スペースの応用により、もう世間と隔絶された密室ではなくなったのです。

文化財保存施設では

操作の説明

「開かれた密室」にはハイテクノロジーによるLED合わせガラスが使用されています。それぞれのガラススクリーンの右上に表示されている「透明展示」ボタンを押すと、不透明のガラスが透明へと変化し、高速鉄道の文化財保存施設の様子が探索できるようになります。博物館の文化財保存施設には温度、湿度と、厳格な環境制御などが行われています。LED合わせガラスにより、その場で文化財保存施設と運営の内容を垣間見ることができます。

高速鉄道文物倉庫
高速鉄道文物倉庫

高速鉄道文物倉庫

創成期 - 2003年

2003年10月16日 殷代表取締役の指示のもと、台湾高速鉄道公司は「人」と「物」の資料の検索を強調した、沿線の各区間の鉄道に関する文化財の研究、調査と収集整理作業を実施しました。

大園時代 - 2004年 - 2007年

2006年、建設に関する大量の文化財は借用された桃園倉庫に保管されていました。当時すでに将来的な運営期間で生み出される文物に向き合わなければならない時期が来ていました。2006年8月、国立科学工芸博物館に高速鉄道の文化財収集方針、分類、作業方法の制定が委託されました。

大園文物倉庫時代、台湾高速鉄道の文化財に対する臨時登録と保管のみ行われていました。しかし物品数の増加と、収集価値はっきりしなくなってきた疑いがあることから、高速鉄道に協力した収集及び管理方針の完璧且つ確固た制定が必要となり、様々な専門家によるサポートが急務になりました。台湾高速鉄道公司では開物国チームへの委託招聘に成功し、率先して国外最先端の文化財の整理技術を導入することで、台湾高速鉄道の文化財の保管維持の重要な礎を正式で堅固なものにすることができました。

高速鉄道文物倉庫
高速鉄道文物倉庫

燕巣時代 - 2007年 - 2016年

台湾高速鉄道の大園文化財保護施設のハードウェア設備の条件が不足である恐れがあることから、文化財の整理整頓とコレクションの環境と条件への必要性に基づき、台湾高速鉄道公司では新たに台湾高速鉄道の文化財保管施設を新たに高雄の燕巣総合車両工場に設けることで、収集の使用条件と規模をさらに発展させました。

2007年12月10日、高速鉄道文化財保管施設は桃園県大園から高雄県にある燕巣総合車両工場に移転しました。略称は台湾高速鉄道燕巣文化財保管施設といいます。移転作業は膨大なものになりました。当時4,000件以上の高速鉄道の文化財があり、4回の運搬、多くの人員と20両以上の15トンの搬送車が動員されました。

「高速鉄道文化財保管施設」は母の懐へと戻り、燕巣総合車両工場に我が家を見つけ出すことができました。委託された開物国・文物整理整頓プロフェッショナルチームは、高速鉄道の文化財の展示収集方針の修正と整理整頓作業を開始しました。台湾高速鉄道の文化財のために、文化財保管テクノロジーに準拠したエネルギーを注入し、文化財の収集管理システムを計画、構築しました。それぞれの文化財のため、博物館での展示保管とメンテナンスに準拠した温床を創り出すことで、高速鉄道の文化財の保管に対し、継続可能な発展の堅固な礎を築きました。

高速鉄道文物倉庫
高速鉄道文物倉庫

探索館時代 - 2016年から現在

13年にわたる文化財の募集収集を経て、文化財保管施設は燕巣総合車両工場から再度桃園探索館に移転されました。高速鉄道の文化財はすでに10年の時を超え、年月による鍛錬を経て、正式に台湾高速鉄道テクノロジーの展示の舞台に立つことになりました。